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李トウ (歴史家) : ウィキペディア日本語版
李トウ (歴史家)

李燾(り とう、1115年 - 1184年)は、南宋歴史家。字は仁甫、号は巽巌。は文簡公。眉州・丹棱(現在の四川省丹棱県)出身。の曹王家の末裔とも伝えられている(『宋史』)。
== 経歴 ==
若い頃にとの戦いに従事し、1138年進士となった後、成都府華陽県主簿を振り出しに地方官を歴任、1167年に中央に召されて実録編纂にあたる。当時の宰相である虞允文を批判したことから再び地方に出されるが、治績を挙げた後に再び中央に召され、同修国史・礼部侍郎などを歴任、敷文閣学士をもって職を辞し、程なく没した。
博識で、儒教のみならず農業や医学にも通じていたが、特に歴史への造詣が深かった。王安石を嫌って司馬光を尊敬し、その歴史書『資治通鑑』の続編として北宋一代の歴史書『続資治通鑑長編』980巻を編纂した。また、官人として徽宗の実録や『宋四朝国史』の編纂に携わった。その著作は基本的に旧法党側に立ったものであるが、実証主義を重んじた内容になっている。その他にも多くの文集や著作を著しているが、散逸した作品も多いという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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